【仮想歴史】1905年(明治38年)11月21日、署名の『桂・ハリマン協定』が、完全、確実に履行、実行されていたら、我が国日本の未来は薔薇色だったでしょう。

 日露戦争は、アメリカ・イギリスの、我が国日本へ対する、物心両面の支援・援助が無ければ、到底、勝利の獲得は難しかった戦争でした。

 戦後、南満州経営に関して、アメリカの鉄道王ハリマン氏の資金提供その他諸々の素晴らしい提案を受け入れ、アメリカ・イギリス・日本で南満州、ひいては満州の共同経営を行っていれば、少なくとも日本は、第二次世界大戦で敗戦国となる事は無かったのです。

 上記協定の破棄は、アメリカからしてみれば、日本に裏切られた感がありました。特に、アメリカは自国植民地は、フィリピン以外、目ぼしいものが無く、アジア進出の足がかりとして、アメリカ政府も期待していたところなのですが。当件で、両国関係は冷え切り、以降、史実のとおりです。

 そして、表題の件です。上記協定が、完全、確実に、履行・実行されていれば、下記の様な結果になったものと、私、推論致します。

 ①満州が、対ロシア防衛の、強力な防波堤、または出城となった。

 ロシアは、ポーツマス条約で、日本と講和はしたものの、白人国家が、アジア人国家に敗北した屈辱は、対外的にも、また、自国民に対しても拭い難いものがあり、革命前夜の国力が疲弊した、ロシアではあったが、日本に対して、戦争をしかけてくる可能性は十分にあった。そこで、アメリカ・イギリス・日本の軍が、治安維持のため、満州に、共同駐留することにより、ロシアの南下政策の意欲を削ぐことに成功した。

 ②ウラル山脈以東の地域を、自由主義国家群に分割させ、ロシアの勢力拡大を妨げた。

 南満州鉄道を基盤として、シベリア・ウラル山脈以東に、アメリカ・イギリス・日本の共同出資運営鉄道を進出、展開、ついでに、地域住民の慰撫も進め、ウラル山脈以東の全地域において、100カ国の独立国を立ち上げ、大いに、ロシアの勢力を削ぐことに成功した。ロシアは革命どころではなくなり、ウラル山脈以西の自国領土内では、内紛、内乱、内戦が常態化している。ちなみに、シベリア鉄道も、アメリカ・イギリス・日本の共同出資運営鉄道となり、一部、海路は利用するが、ロンドン⇔東京間の路線が開通する。ルートはトルコ経由となる。最終的には、東シベリア→ベーリング海峡→アラスカ→カナダ経由で、ロンドン⇔ニューヨーク間路線が開通した。

 ③第二次世界大戦は、自由主義国連合対、ロシア・中国大陸との戦いとなり、自由主義国連合が完全勝利を収め、ロシア・中国大陸両政府は消滅した。

 どうですか、いいことずくめでしょうが。我が国日本は、アメリカ・イギリス・日本の共同出資運営鉄道網を大いに有効利用し、ヨーロッパ、ユーラシア大陸、北米との交易で、どんどん、国力が増大、豊かになり、戦火に巻き込まれることもなく、国民一人ひとりが、裕福な国に、少なくとも、1930年代にはなっていたことでしょう。何で、当協定破棄してしまったのでしょうか。時の外相が猛反対したらしいのですが、首相が抑え込めばなんとでもなったでしょうに。私には、全くわかりません。当時の日本国民感情も背景にあったらしいのですが、それこそ、現在の内閣総理大臣もよく発言する言葉ではあります、国民に対して「丁寧に説明」をすればよろしかったのでは無いかと考えますが、その時代の雰囲気、空気は、現代では度し難いのですが、少なくとも、我が国日本にとって、大変に有効なチャンスであった事には間違いがないと、私、確信しております。

 今回は、以上です。今後とも、何卒、よろしくお願い致します。

 

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